あの世界の片隅で

NEWSで観たこと読んだこと経験したことの感想。Twitterのまとめも。

加藤シゲアキ原作映画「ピンクとグレー」を観ました

 2016年1月12日に加藤シゲアキ原作の映画「ピンクとグレー」*1を観てきました。鑑賞中からずっと感じていたもやもやが何なのかすぐには言葉にできなかったし、どうせ忙しくてしばらくはきちんとした感想が書けないのはわかっていたので、その時点では時間を置いてもう一度鑑賞した後に感想を書こうか迷っていました。単純に作品として好きか嫌いかと聞かれると、申し訳ないけれどあまり好きではない方の部類に入る映画だったことも迷う一因でした。でも一晩たって自分の感じたもやもやの正体がはっきりとわかってきたので、とりあえず心に浮かんだことを箇条書きでメモだけしておきました。それから2週間たってようやく今まとめる時間が取れました。そういうわけで、これから書く思いは鑑賞直後の素直なものです。そして、映画「ピンクとグレー」を読み解くものでは全くありません。映画の感想でさえないかもしれません。とりあえずのメモをしてから何人かの方の分析や感想も読ませて頂きましたが、どれもなるほどと思うものばかりで本当に面白かったし勉強にもなりました。もちろんパンフレットにも目を通しました。鑑賞後、シゲのインタビュー、特に『+act.』*2はじっくりと読みました。それらをしても私の感じたことには大した変化がなかったので(シゲが色々な感想があっていいと言ってくれたので、こんな感想をネット上に載せる勇気だけはもらいましたが)、たった一度しか観ていないけれど感想を述べます。(映画「ピンクとグレー」が好きな方からしたら読んで不快になるかもしれませんので、ここで回れ右された方がいいかもしれません。)

 

 

 映画を観ていて私が一番に思ったのは、作家加藤シゲアキが書いた『ピンクとグレー』という小説*3の二次小説や二次漫画を読んでいるような、いや、映画だから二次映画を観ているような?そんな言葉があるかは知らないけれど、他に言い表す言葉を思いつかないので使いますが、とにかくそういう気がするということでした。以下、二次小説や二次漫画と言ってぴんと来ない方のための説明ですが、私が高校生の頃(歳がばれる)世間は大変な「キャプテン翼」ブームで私も大好きでした。ある時姉の友人が同人誌なるものを貸してくれました。そこに載っている二次小説や二次漫画には私の好きなC翼の登場人物たちが出ていましたが、原作とはまったく違った世界、たとえば性格や関係性が描かれていて、そんな同人誌の世界の存在を初めて知った私にはかなりの衝撃でした。姉の友人はコミケや通販で次から次へと色々な同人誌を手に入れては貸してくれたので、けっこうな数と種類の小説や漫画を読みました。その中には読んでいて涙してしまうようなもの、本当におもしろいものなど素人とは思えない上質なものがたくさんあり、実際その作家さんたちはプロデビューもされました。もちろんいくら上手でも、まったくぴんとこないもの、キャラクター(といっても、結局は原作者の作り上げたキャラクターに同人作家が色付けしているのだけれど)やテーマに共感できないものもたくさんありました。でも、これは私の好みじゃないと切り捨てるだけでよかったので、特に何も思いませんでした。二次小説や二次漫画は基本的に原作者の目に触れることはない、その原作が好きな人たちが自分の好きなように、そして建前上はひっそりと楽しむもので、私も私だけの世界で単に好き嫌いという基準だけで受け止めればよかったので。だから安心して読んでは安心して感動したり切り捨てたりしていました。

 

 映画「ピンクとグレー」は私にとっては小説『ピンクとグレー』の壮大な「二次映画」でした。ただ、昔私が読んでいた同人誌と決定的に違うのは、これはプロの映画監督が公式に作ったものだということです。これが小説『ピンクとグレー』を映画化したものだと公に位置づけられる、そして原作者が鑑賞して感想を述べることを求められるし、この映画を公に宣伝したり、この映画に関するトークショーに出演したりするということです。だからこそ私はもやもやを感じてしまったのでした。

 

 映画を観る前、できるだけ余計な情報は入れないようにしていました。知っていたのは原作とは全く違うということ。そして行定監督にとって映画化とは原作に忠実に映像化することではない、そのまま映画化しても原作を越えることはできないから、違う物語を組み上げることだということも耳にしていたので、その点だけは覚悟して観に行きました。小説との違いにいちいち反応したくなかったので、小説を読み返すことさえしませんでした。だから私のもやもやの一番の原因は決して「原作と違う」ということではないんです。もちろん、それは原作と違うというところから来ているもやもやなので、原作との違いは一因ではあるのだけど、そこが一番寂しいのではないんです。そう、一言で言えば私は「寂しかった」んです。

 

 映画の内容として、設定など色々な違いはあるけれど(ここを掘り下げていくと際限がないし私には無理なので、どうか他の方々の素晴らしい分析や感想をお読みください)前半の流れ的には一応小説と同じと言ってもいいものでした。そして後半からの流れはシゲの作り上げた物語世界の人々が、シゲ以外の人によって動かされて紡いでいる、シゲの書いた物語の「その後」でした。その内容についてあれこれと言うつもりはありません。行定監督の作った世界が好きな人、面白いと思った人もいるでしょうし、つまらない、醜悪だと思った人もいるでしょう。原作を読んでいなかったら、私の感想もまったく違ったかもしれません。私は映画に関して詳しいわけではないので、その構成のすばらしさも深くは理解できません。そこは私にとって最大の問題ではないんです。ただ、事実としてこの映画は小説『ピンクとグレー』を公式に映画化したものだということ、その事実が私には大きかったんです。そしてそれはやっぱり私が先に小説『ピンクとグレー』を読んでいたから、小説が好きだったから持った感情なんですよね。だからこの先もう一度観たとしても、映画のみの感想は私には持つことができないと思います。

 

 小説『ピンクとグレー』はあの時のシゲにしか書けない話だったと思います。あれから何作も書いてきて、小説家としては確実にステップアップしている今のシゲにはきっともう書けない。混沌としていて曖昧で拙くて残酷でたくさんの刃に切り刻まれるような痛みも感じるのに、透明で切なくて暖かく優しい世界。物語としての完成度云々は私にはわかりません。でも私はその世界が大好きでした。ごっちとりばちゃんの互いに向ける想い。それは恋とか愛とかの類いではなくて。幼馴染との思い出。彼らを包む世界。それらの何もかもがなくなっていました。登場人物や物語のエッセンスは確かにシゲの作ったものが散りばめられていたけれど、それらは組み上げられてテーマも何もかも異質なものになっていました。それは至極当たり前のことなんだと思います。なぜなら監督もひとりのプロの表現者だから。監督独自の作品を作らなければ意味が無いのだから。そこには原作に対する監督の深い思いがあったこともわかりました。でも、私が大好きだった世界とはまったく異なる世界でした。そしてまた繰り返しますが、そのこと自体は私が寂しさを覚えた最大の要因ではありませんでした。

 

 加藤シゲアキという人をまったく知らないでこの小説を読めたこと、これは遅れてNEWSのファンになった私が唯一「あの時期にファンになってよかった」と思えることです。当時シゲを取り巻く環境のことなど何も知らなかったのに、私は鮮烈な痛みを堪えながら読んでいました。そんな世界の創造主はシゲです。だけど公式に映画化されて、一つの形とはいえ「その後」が描かれたことで、もうシゲは「その後」の話を書かないかもしれません。もともと最後までは書かないで読者に委ねる人ではあるけれど、いつかシゲがもっと歳を取った時に書くことがあるかもしれない、その可能性が皆無になってしまったような気がして、私は寂しかったし悲しかったんです。もちろん「その後」をシゲが書くことがいいのか悪いのかはわかりません。でももしかしたら書くことがあるかもしれない、という楽しみさえ持てなくなってしまったような、そんな気がしたんです。

 映画を観たことで私はたとえどんな話であっても、たとえ蛇足だったとがっかりしたとしても、シゲの描く「その後」が読みたかったんだなと気がつきました。それがきっと読めないであろう寂しさと悲しさ。それはもちろん私の勝手な憶測に過ぎないこともわかっています。もしかしたらいつかシゲが「その後」を書くことがあるかもしれません。その時は私のひとりよがりの感傷を笑いたいと思います。ただ今の私にはその希望が持てなくて、勝手にうじうじもやもやしているだけです。映画公開に先だってシゲが書いたスピンオフ小説「だいじなもの」は映画を観る1時間前に読みました。何となく覚えた違和感の正体は鑑賞後にわかりました。あの小説は私には映画「ピンクとグレー」のスピンオフ小説です。そういう風に読むのが私の中で一番しっくり来ます、少なくとも現時点では。それもあって、もうシゲの書く「その後」は読めないかもしれないという感傷は深くなってしまいました。

 

 映画のパンフレットを読んで私は初めて「6」通の遺書の意味、シゲが「6」に込めた思いに気づきました。それは小説を読んだ当時の私が何も知らず、読後の痛さが原因で一度も読み返していなかったからです。コミック版*4は買って読みましたが、小説は映画を観るまで1回しか読んでいませんでした。『ピンクとグレー』は何のフィルターもなく読めた最初で最後のシゲの小説です。今となっては彼の小説も原作ドラマも映画ももう二度とフィルターなしで観ることはできなくなってしまいました。そういう意味でも私にとって『ピンクとグレー』は特別で大切な小説でした。パンフレットの中で行定監督は「原作とは違う道を彼らに歩ませてみたかった。あらがい続けてもがき続けている若者を見ていると、どこかのタイミングで解決してあげたくなるんです」とおっしゃっています。でも私は解答なんていらなかった。シゲ以外から示される「道」なんて知りたくなかった。

 

 それが私の個人的な感傷に過ぎないということは理解しています。こうやって映画化されたことでシゲの当初の目的は全部ではないけれど達成された部分もあります。実際にシゲがこの小説を皮切りに書きつづけてくれたおかげで短編集『傘をもたない蟻たちは』*5はドラマ化もされたし主題歌「ヒカリノシズク」*6も発売できました。小説を読んでくれた人がNEWSのファンになってくれたらというのがシゲの望みだし、何より原作者のシゲが映画の内容に彼らしく納得して喜び感謝しています(彼の映画に関するコメントや感想を聞く度に、色々な面でなんて聡明な人かと思います)。私ももちろん嬉しいんですよ。シゲの小説が映画化されたことも嬉しいし、映画がヒットして何度もトークショーに出ている姿がテレビで流れているのを見ると嬉しいし誇らしい。映画化されたことで原作もさらに売れているし、新たなファンも増えていることでしょう。映画の内容については細々と言わないけれど、出演者の演技には引き込まれました。菅田将暉さんは元々その演技力に魅了されていましたが、中島裕翔さんも素晴らしくて、今後が楽しみになりました。でも勝手に寂しいし悲しい。そしてもしよければ、映画を観て面白かった方にも面白くなかった方にも原作を読んでほしい。それが私の素直な感想です。

 

 (余談ですが、映画化されたらようやく内容がわかると言っていた増田さんにはコミック版をぜひ読んでほしいと思います。本当は小説を読んでほしいけれど。舞台「ストレンジ・フルーツ」や「フレンド」の脚本が読めたんだから小説も読めると思うんだけど、そんな単純な問題ではないのか?)

 

 

*1:

pinktogray.com

*2:

 

 

*3:

 

ピンクとグレー (角川文庫)

ピンクとグレー (角川文庫)

 

 

*4:

 

ピンクとグレー 第1巻 (あすかコミックスDX)

ピンクとグレー 第1巻 (あすかコミックスDX)

 
ピンクとグレー 第2巻 (あすかコミックスDX)

ピンクとグレー 第2巻 (あすかコミックスDX)

 

 

*5:

 

傘をもたない蟻たちは

傘をもたない蟻たちは

 

 

*6:

 

ヒカリノシズク / Touch

ヒカリノシズク / Touch