あの世界の片隅で

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加藤シゲアキ作「染色」感想

 発表後一か月ほどした頃の感想をTwitterで呟いたものをまとめました。ほんの少し加筆したぐらいでほぼ変わりありません。

                                            

 主人公市村は仲間内では才能豊かだと思われているし、本人も自分は他とは一線を画していると思っている。けれど、美優と初めて会った店で壁に貼られた「学生や卒業生」のデザインを批評しているように、市村が認められたり自信を持ったりできるのはあくまで学生や仲間内でのことだ。外に一歩出たら他の追随を許さない程の才能ではないということを市村本人も心のどこかでわかっている。市村が他人を批評している言葉は実は自分に対するものであるが、それを認めてしまうのは怖い。周囲の人々には「リア充」と言われながら本当は現実から目を背けているのが市村だ。

 そんな彼が出逢ったのは、色々な点において正に他とは全く異なる存在の美優。偶然再会して美優の部屋に行き、彼女の絵に描き足し、関係を持ち、ほぼ同棲のように過ごし、と急速に彼女との距離を縮めていく中で市村は自分も美優のような存在であるという快感を覚えていたのではないか。美優の体を染める色に自らも染まりながら、彼女の才能が自分にも伝染しているような気持ちになっていたのではないか。しかしそれは美優と一緒の時にしか得られない、美優の才能がないと生まれない快感だった。市村もこの快感が本物ではない、現実を認めれば夢のように一瞬で消えてしまうものだとわかっていたはずだ。そして、美優と過ごしながらもいつかこの夢は醒めるのだと、自分と美優とは違う世界の人間なのだと一歩引いたところから見ていた。彼は錯覚の快感に溺れても染まることはなかったのだ。美優のノートを覗き見して自分とは絶対的に違うのだと一目でわかる彼女の真の才能に畏怖を覚えた後、そしてスプレーを隠された美優が狂気と深い闇を見せた後、彼女を一層大事にしよう、平和に過ごそうと思ったのは、夢の終わりが近いことを感じつつ少しでも長くこの夢の中にいたかったからだ。

 けれど一緒にロンドンに来るかという美優の言葉でその夢は唐突に終わる。遂に自分の現実に向かい合い認めなければならない時が来てしまったのだ。それは美優の色に体を染めながら見た夢の終わりであると同時に、自分に対してどこか夢見心地でも許される学生という時間の終わり。だが、この期に及んで尚、市村は逃げ出してしまう。そして美優がその後一人で作り上げた作品を見た時、ようやく彼は現実に向かい合おうとする。それでもまだ夢から完全に醒められずにいる彼はあの橋脚に美優との作品がもうないという現実に打ちのめされ、美優のいた部屋へと向かう。そこで、あの日々と同じように快感を得ようとするけれど、彼女無しで快感は得られない。市村が美優の部屋で自慰行為に及び「快感を覚えているつもりなのに決して絶頂には届かない」のは、彼が美優と一緒に過ごしていた時と同じなのだ。美優と一緒に感じていたつもりの快感も、美優と作り上げたと思っていた色彩も、美優の才能を借りて市村が自らを慰めるために見ていた「夢」に過ぎず、決して現実の絶頂に届くことはなかった。そのことを今度こそ市村は受け止め、自らの現実へと帰っていく。

 

 自らの体を染めずにはいられない美優。市村と最初に会った時は黒に見えるほどの紺。次に橋脚付近で会った時は鮮やかな数色だが混ぜられて黒に近い色。次は海のような深い青。その次はウルトラマリンとチョコレートブラウン。美優が市村と一緒にいない時に自らを染める色は暗い寒色である。しかしそれは少しずつ色味を増していっていることがわかる。一方市村の目の前で自らを染める色はオレンジ、メタリックゴールドとパールグリーンとブライトレッドと目に痛いほど明るい。市村の存在が美優に新たな色味を加えたのだ。市村が美優と過ごすことで夢を見ていた時、美優もまた彼と過ごすことで夢を見ていたのではないか。その才能が故に感じる孤独から目を背けられたのではないか。つまり二人とも互いに寄りかかり夢を見ていたのだ。けれどそれは輝かしい希望に満ちた夢ではなく、白昼夢だった。

 美優が杏奈の存在に気づいていたかどうかは不明だが、市村が美優と自分を違う世界の人間だと捉えていること、そして彼が美優の世界に染まり共に生きていく覚悟はないことを彼女もまた心のどこかでわかっていたのだろう。だから市村に何も言わずロンドン行きを決め、自分と一緒にロンドンに来るかと問うた後すぐに自らそれを否定している。美優がスプレーで自らを染めていたのは、その才能が故に色のない世界にいる孤独な自分、空白にしか感じられない自分に耐えられなかったからではないか。けれど彼女は市村より一歩先に、空白の自分自身に向かい合い、芸術という孤独の世界に身を投じる覚悟をしたのだと思う。その覚悟が市村と美優が互いに寄りかかりながら見ていた白昼夢を終わらせたのだ。二人は寄りかかってはいたけれど背中合わせで別々の夢を見ていた。けれど美優に自らの空白と向き合う覚悟をさせたのは背中から伝わる市村の温かさだったのだと信じたい。

 

 人生の様々な局面において彼らのように現実を直視し受容して進まなければならないことはよくある。自分がどんなに渇望しても得られないものを持つ相手に対する憧憬や羨望や同一視、持たざる自分を諦観したつもりで捨てきれない未練、自分の現実に向かい合う怖さにすくむ足。そういった感情のどれとも無縁な人間などいないのではないか。過去や周囲ばかり色鮮やかに見えて立ちすくみ、現実に抗い逃げ出そうとしたり狼狽したりする、あるいは自分を装ったりする人間は、傍から見ると自分勝手でみっともなく滑稽かもしれない。けれどそれは確かに人間の一面なのだ。この小説全体に流れる、まどろんでいるかのような温かさは、一瞬交差した二人が見ていた白昼夢を染めていた色彩の温度であり、夢から醒める痛みに耐えて歩き出す彼らに向けた作者加藤シゲアキの視線の温かさだ。その痛みを知るからこそ、彼らと同じ高さから向けた視線の温かさなのである。