あの世界の片隅で

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舞台『染、色』感想

 舞台『染、色』を観た。配信で一回だけ。実は舞台のチケットは申し込んでもいなかった。シゲの短編『染色』は感想ブログを上げるぐらい好きだったけど、その程度の私が申し込んで、もし当選したら、主演の正門さんのファンに申し訳ないような気がして。でも、漏れ聞こえてくる情報とか感想とかに、申し込めばよかったな…って正直後悔していた。そうしたら、まさかの配信をしてもらえることになった。神様ありがとう。いったい私の好きなあの小説はどんな風に戯曲化されたのか。この目で確かめに行った。

 

 結果として私は色々な事情で配信も一回しか観られなくて、だからきちんと感想をしたためることはできないと思っていたけど、日を追うごとに突然言語化された思いが心に浮かぶことが何度もあって、もうそれを箇条書きでいいからここに置いておくことにした。(余談だけど増田さんのミュージカルふたつについてもそういう風にしか下書きに書き留められていない。でももう箇条書きでもいいからここに置いておこうかと思ったりもする。もともとここは私の思いの備忘録だったし)

 

・深馬は本当の自分を世に見せたらすばらしい評価を受けるはずだ、今それほどでもないのは単に「自分がすべてを見せていないからだ」という風にしたかった。自分が本気さえ出せば、先生が嫉妬するぐらいの才能があるんだと思いつつ、いや思いたくて、実際に自分のすべてをさらけ出して周囲の期待に応えられなかった時の恐怖から逃れたくて、作品を完結できない。何者にもなれていない自分。何者にもなれないかもしれない自分。決定的な評価を下される恐怖から逃げるために「自分はこの作品に満足しているわけではない。自分はまだ本気を出しているわけではない」という余白を残し続ける深馬。

 

・戯曲は小説と全然違った。原作の市村は戯曲では深馬だったし、美優は真未だった。原作の美優は市村がなりたかった自分で、あくまで別の存在だったけど、戯曲の真未は深馬自身だった。真末は深馬の本音とか自意識の塊とかを具現化した存在だった。自分がもしも特別な生い立ちだったら才能に恵まれていたのかもしれないと思うから、真末は「普通」の自分とは違う生い立ちだった。

 

・真末という名前の女性は原作では美優。美しく優れた存在。それが未だ真実ではない、という不完全な名前になっている。「みうま」の一部である「まみ」の「み」に「美」ではなくて「未」をあてた加藤シゲアキ。そして「みうま」の「み」に「美」ではなく「深」をあてた加藤シゲアキ。絶対意図的なはず。

 

・もし、もしも小説『染色』の美優も市村自身だとしたらと考えてみて、ちょっとぞっとした。そういう考察の観点も投げてくれたシゲは本当にすばらしい作家さんなんだなと改めて実感した。

 

・真末が語る深馬の友人への評価や、深馬が見ていた「現実」の中で友人が語る言葉は、結局深馬の本音だ。だけど人間ってそう単純なものではなくて、表で語られない本音だけが本音じゃない。建前だと思って話していることのなかにも実は本音は含まれている。深馬が友人の才能を大したことがないと思うのも、評価に値するものだと思うのも、どちらも彼の本当の思いだ。仲良くしている友人は実は人気者の自分たちにくっついているだけのつまらない存在だと思うのも、そういう彼の存在に救われたり気持ちを慰められたりしているのも、全部美馬という人間の真実だ。先生にさえ嫉妬されるほどの才能があると思いたかったけど、実は先生が見つめていたのは深馬ではなかった。先生自身も「未だ何者にもなれていない自分」を見つめ、これからの道を思い悩んでいた。それもまた真実。

 

加藤シゲアキの描く「女性」にずっと少しの不満を抱いていた。夏目漱石の描く女性に感じる不満のようなものを。どこかステレオタイプで血肉の感じられない女性というか、作家の思い描く「女性」を文字で表現しただけの存在というか。小説『オルタネート』を読んだとき、そういう不満はなくなっていたけど、今回の舞台を実際に観るまで「杏奈」はどう描写されているのかというのも気になるポイントのひとつだった。結論から言うと、私は戯曲の杏奈の方が数倍好き。彼女自身何者にもなれない自分に焦燥感を抱き周りの評価に傷つきながらも、深馬を理解し寄り添おうとする強さがある。偉そうに聞こえるのを覚悟して言うけど、加藤シゲアキはそういう風に「杏奈」を描けるようになったんだなと嬉しかった。

 

・「あの日」から否定的なものも含めたくさんの評価を受けつつ、作品を完結し続けてきた加藤シゲアキ。今回の舞台は本当は昨年上演されるはずだった。でも今年、作家加藤シゲアキが多くのすばらしい評価を受けた2021年に舞台が上演されたことは神様の粋な計らいだったように感じられてならない。

 

・主演の正門さんがシゲに見えるという声がたくさん聞こえていたけど、私自身もそうだった。それは彼がいかにもシゲシゲしい台詞を話しているからというだけではなくて、シゲが表現したかったことをきちんと理解し、誠実かつ繊細に表現していたからだと思う。シゲ初の戯曲の主演がそんな正門さんで本当によかった。

 

 以上が舞台『染、色』の箇条書き感想。簡潔にまとめると、とてもすばらしい作品でした。ありがとうございました。